たかぽんつれづれ日記

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zoom RSS ずっとそばに置きたいもの

<<   作成日時 : 2011/01/05 01:50   >>

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新年早々、くだんの友人に誘われて長谷川家を訪れた私。年末年始の多忙からか最近少し心身ともに疲れ果てて自分でもどこか元気がないというか、精気に欠けることがひしひしと身にしみる。「最近、モノの購買意欲がわかなくて。」という私に、「そりゃ、変だ。病気じゃないの?」という意見と、「いやいや、それくらいが普通なんじゃないか?」という友人たちの心温まる励まし(?)にやや、元気を取り戻したのだが、やはり、どんな言葉より効果的であったのが竹次郎さんの仕事場でコレクションを拝見しながらいただく一服のお茶である。最近、手に入れたというその茶碗の豪快でかつ繊細な美しさに感嘆し、かつ、竹次郎さんの動物コレクションを眺めていると、自然と心が安らぐ。
いわゆる、「アニマルセラピー」ならぬ「骨董動物セラピー」といったところで、それが私が動物ものが好きな理由の最たるものなのだろう。
いよいよ心癒されて、ちょっと元気がでてきた。すなわち、「あ、これほしいなあ。」という欲心が発露しはじめたということか。
「そういえば、内田(鋼一)君が、「これ好きなんじゃないの?」って君に持ってきてくれたものがあるよ。」とまみさんがひとつの箱をとりだした。
ありがたいことにくだんの友人をはじめ、Aさんや、周囲の友人たちが私の好みのものをみつけて「こんなのあったよ。」とか「これなんか好きなんじゃないの。」と知らせてくれる。すなわち可愛い動物ものの骨董はその筆頭なのだが、今回、見せてもらったのもまさにそれであった。
一見した感想は、「あ、可愛い。ところでこれは何、いつの(時代)のどこの(国)のもの?」というのが我が第一声で、というのもものすごく愛くるしいその表情をした一匹の猿であった。片手をかざしたその顔はひょうきんであり、確かに時代を感じさせる。その一方、材質はあきらかに陶土とはことなり、自然の風化によって生じた模様はいかにも自然でありながら、かたやコンテンポラリーアートを彷彿とさせるような不思議さ。
「これはガラスだよ。」という竹次郎さんの言葉に、「へえ〜、そうなんですね。」と感心ししげしげと眺め掌中に玩べば、確かにその通りで中国は漢時代のガラスの猿であった。それにしても、もし、「ムラーノガラスの猿だよ。」といわれても、思わず納得してしまうのではないかというほどの経年の自然が織りなした偶然が、また猿の毛なみをよくとらえており、見るたびに可愛いと思ってしまう。この猿を眺めているうちに心の澱(おり)が落ちていくような気がしてさっそくわが骨董動物園入園と相成った。
左手をかざして遠くをみつめるその眼差しは二千年の時を眺めつづけたことだろう。
多くの人の喜怒哀楽をその奈辺で静かに眺める表情はおおらかで、「なにを落ち込んでいるかはしらないが、まあ、くよくよするなよ。」と飼い主(?)を諭してくれているかのようである。

画像

  <古代ガラス 猿  漢時代>

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