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みんなの「戦国武将」ブログ

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鎗の鞘(やりのさや)〜サイトウ ヤスヒコ『古道具に花』から
鎗の鞘(やりのさや)〜サイトウ ヤスヒコ『古道具に花』から 昨年の冬、手に入れた古道具。使いみちに困ると云う意味では所謂、『骨董』というべきか。 『鎗の鞘』 ー 本来、ここに納まるべき刀身はすでに失われて黒く透けた漆と内側に施された金箔が鈍く光って往時を偲ばせる。 造りは素朴かつ豪快で、少なくとも江戸時代に造られた儀礼用のものというよりは戦国の世にどこぞの名のある武将が先駆けした実用のものなのだろう。 とはいえ、或る人に見いだされるまでは単なる残欠にすぎなかった。 最近、この残欠、古道具に脚光をあてた人。ーサイトウ ヤスヒコ さんの『古道具に花』... ...続きを見る

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2011/01/09 19:18
戦国武将の短冊〜毛利元康
戦国武将の短冊〜毛利元康  最近では大河ドラマの影響もあってか戦国武将がにわかに世の注目を集めているそうである。確かに、真田幸村や伊達政宗といった猛将はいつの時代にも注目を集め、人気が高い。この傾向は短冊においても然り。世の中には数は少ないものの、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康といった三英傑のみならず、武田信玄や北条氏康、今川義元、氏真、蒲生氏郷、毛利輝元、小早川隆景といった有名人のものも残っている。比較的、数多いのは細川藤孝で彼は歌人としても著名であったから当然のようだが、筆まめな伊達政宗の短冊がないのは不思議であったり... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 2

2009/10/07 21:15
うれしい勘違い〜架蔵短冊名品撰 その11 冷泉隆豊
うれしい勘違い〜架蔵短冊名品撰 その11 冷泉隆豊 長年短冊を集めているが、短冊収集において実は困ったことがひとつある。それは、同じ名前の別人、いわゆる『同名異人』の問題である類例の遺墨が数多い場合には問題はないのだが、珍しいものほど、人は良い方に解釈しがちとなる。公家の世界でも例外ではなく、幕末の近衛忠房(このえ ただふさ:1838〜187)の短冊のなかにはときに、江戸後期の幕臣で大坂城番、勘定奉行を務めた石川忠房(1755〜1836)の短冊が紛れていたり、逆に侯爵 醍醐忠順(1830〜1900)の短冊が幕末の志士 村上忠順(1811〜1884... ...続きを見る

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2009/06/20 22:16
架蔵短冊名品撰 その9 今川氏真
架蔵短冊名品撰 その9 今川氏真 今川氏真(いまがわ うじざね:1538〜1615)は敗軍の将である。駿河の国主 今川氏の当主でありながら桶狭間の戦いで父、義元が織田信長に討たれたのちは武田、徳川に領土を奪われてしまった。それだけを聞くとなにやら情けなくも聞こえるが実際、氏真は信長、秀吉、家康のだれよりも長生きした。戦国の世に家名を残すという大役を果たし、晩年は家康の同朋衆のひとりとして重要な役割を担ったことを考えると決してただ凡庸な人物であったとはいえない。法名:宗闇(そうあん)。   <今川氏真 短冊> ...続きを見る

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2009/06/06 14:35
架蔵短冊名品撰 その8 織田信長
架蔵短冊名品撰 その8 織田信長 織田信長(1534〜1582)についてはいまさら説明の必要もない。天才的な政治センスで戦国の世を終息に導いた反面、『第六天魔王』と恐れられ遂には非業の最期を遂げた信長であったが、反面、茶の湯を好み、多くの名物を収集するなど文雅の道にも造詣が深かった。父、信秀以来、公家との親交も厚く意外にも極端に少ないが短冊の遺墨が存在する。 この短冊はその中の一枚。某大名家伝来の短冊手鑑になかに貼られていたもの。元となる歌の語句を分解して題としたもの。 ...続きを見る

驚いた ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

2009/06/06 08:32

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