奈辺の小物たち~ひょうげものの顔
いよい年も新たまり、日々の日常が戻ってくるとかえって現実感のない「非日常の世界」への憧れが一層深まる傾向にあって、その一端が「古美術」なのではなかろうか。と考えさせられる今日、この頃である。
正月中はひたすら推理小説などを読みあさり、ゴロゴロと怠惰な寝正月をすごした我が身も、多忙な一日を終え、ささやかな書斎に独り籠って眺めるのは何やら読むのに骨が折れる古消息などよりは、見ているだけで心安まるコミカルな造形ということになろうか。その多くは犬、猫といった動物であり、その可愛さや手軽さも手伝ってひとつ、ふたつと奈辺に集う小物は限りなく増えていくようで、その反面、飼い主(?)の酔った勢いで思いがけず友人の所へ「嫁入り」していったモノたちも、ちらほらいて案外数は変わらないといった案配である。
ならば、その散逸を如何して防ぐかといえば、気に入ったものほど机の奥深くへしまい込んでその存在を忘れるという、如何にも「パラドキシカル」な方法が実は一番効果的なのではあるまいか。
そうしたお気に入りのひとつがコレ。『西遊記』の孫悟空を象った文鎮、『悟空鎮』である。
作者は現代の彫刻家、薮内佐斗司(1953~)で東京芸大の教授、というよりは昨今の「ゆるキャラブーム」で論議を呼んだ『平城遷都1300年記念』のキャラクター、「せんとくん」の作者でもある。テレビ番組でテリー伊藤に『ぬる坊』と勝手に愛称をつけられたあのキャラクターもよく見れば結構、可愛い。
そこで思い出されたのが、この文鎮で1996年に制作され、数限りなくある「薮内作品」のひとつ。なじみの骨董屋さんの店先で出逢ったが、値段も手頃で、ちょうど、なにかで少し落ち込んでいた自分に、そのユーモラスな表情がとても癒されて買ったような覚えがある。
口をすぼめて身外身(しんがいしん)の術を使わんとするのか、?斗雲(きんとうん)を呼ばんとしているのか、いずれにしろその一瞬の表情はいかにも天真爛漫でひょうげていて楽しい。
この姿を眺めながら今年も一年頑張ろうといった心地になってくるのも、「骨董蒐集の功徳」といったところであろうか。
<薮内 佐斗司 作 『悟空鎮』>
正月中はひたすら推理小説などを読みあさり、ゴロゴロと怠惰な寝正月をすごした我が身も、多忙な一日を終え、ささやかな書斎に独り籠って眺めるのは何やら読むのに骨が折れる古消息などよりは、見ているだけで心安まるコミカルな造形ということになろうか。その多くは犬、猫といった動物であり、その可愛さや手軽さも手伝ってひとつ、ふたつと奈辺に集う小物は限りなく増えていくようで、その反面、飼い主(?)の酔った勢いで思いがけず友人の所へ「嫁入り」していったモノたちも、ちらほらいて案外数は変わらないといった案配である。
ならば、その散逸を如何して防ぐかといえば、気に入ったものほど机の奥深くへしまい込んでその存在を忘れるという、如何にも「パラドキシカル」な方法が実は一番効果的なのではあるまいか。
そうしたお気に入りのひとつがコレ。『西遊記』の孫悟空を象った文鎮、『悟空鎮』である。
作者は現代の彫刻家、薮内佐斗司(1953~)で東京芸大の教授、というよりは昨今の「ゆるキャラブーム」で論議を呼んだ『平城遷都1300年記念』のキャラクター、「せんとくん」の作者でもある。テレビ番組でテリー伊藤に『ぬる坊』と勝手に愛称をつけられたあのキャラクターもよく見れば結構、可愛い。
そこで思い出されたのが、この文鎮で1996年に制作され、数限りなくある「薮内作品」のひとつ。なじみの骨董屋さんの店先で出逢ったが、値段も手頃で、ちょうど、なにかで少し落ち込んでいた自分に、そのユーモラスな表情がとても癒されて買ったような覚えがある。
口をすぼめて身外身(しんがいしん)の術を使わんとするのか、?斗雲(きんとうん)を呼ばんとしているのか、いずれにしろその一瞬の表情はいかにも天真爛漫でひょうげていて楽しい。
この姿を眺めながら今年も一年頑張ろうといった心地になってくるのも、「骨董蒐集の功徳」といったところであろうか。
<薮内 佐斗司 作 『悟空鎮』>
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